旅の終わり、映画のはじまり

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『偶然と想像』

 鑑賞前の「想像」

 「偶然」とはなんだろうか。

 都合のいい「偶然」、悪い「偶然」。「偶然」は、コントロールできない。些細な「偶然」、重大な「偶然」。「偶然」は、予測ができない。

 自分が生まれたことも「偶然」であれば、人類や生命そのものの誕生も「偶然」。宝くじに当たる幸運も「偶然」、突然雷に打たれて死ぬ悲運も「偶然」。

 「偶然」は時に不可逆的に、我々の運命を規定する。

 統計学が扱う不確実性とは未来のことを指しているが、「偶然」とはすでに起こった過去のことを示すのが一般的だろう。

 

 「想像」とはなんだろうか。

 それは人間が頭や心で何かを思い描くことである。「想像」もまた「偶然」と同じように我々のコントロールを超えて時に暴走しうる存在である。

 しかし人間が最終的にコントロールできうる唯一のものも、自身の「想像」である。「想像」は我々を支配する「偶然」に対する唯一の対抗手段である。

 

 「偶然」の対義語は通常、「必然」という言葉である。しかし本作はタイトルで「偶然」と「想像」を対比させることで「必然」から居場所を奪い、否定する。

 

 本作は三部構成となっており、「偶然」と「想像」に関する羅生門形式での語りを意図している可能性も頭の片隅で想像し、鑑賞したい。

 

作品という「偶然」に対峙して

 本作は全部で7つのエピソードとして構想されたもののうち最初の3つを作品化したものであるという。

 タイトルについて色々考察を巡らせていたことが馬鹿馬鹿しくなるぐらい、本作にはストレートな笑いどころがしっかり用意されているし、肩ひじ張ってみるような作品ではなかった。

 最初のエピソードはタクシーの車内でのガールズトーク長回し会話劇だけでも「あるある話」っぽく楽しいが、社内で古川琴音がひとりになりタクシーの運転手に行先の変更を告げてからの「ないない話」へと発展するドライブのかかり方は凄かった。最後の喫茶店のシーンでの印象的なアップからの展開には驚かされた。

 二つ目のエピソードは単位が取れなかった学生がセフレの同級生に依頼して、自分を留年させた教授にハニートラップを仕掛けるという話。独身の男性のキャラクターであれば、若くて魅力的な女子学生が部屋にやってきて女性の方から積極的に扉を閉めたらそれは・・・という「あるある話」が展開しそうになるところ、この教授がわざわざ扉を開けなおすところから「ないない話」に展開しドライブがかかっていく。

 三つ目のエピソードはなぜか若干のSF設定が字幕で語られた後、仙台の町で高校の同級生と再会して家でお茶をするが、実は人違いで、気が付いてもそのまま流せばいいのだが、あろうことかそれを片方がしっかり口にしてしまうところで「あるある話」から「ないない話」への転換が起こり、それが思わぬ化学反応を起こしていく作りになっている。

 本作は120分の鑑賞時間で、ふつうは1回あれば満足できるような目の覚める場面が3回も出てくる点で非常にお得な作品であり、笑いどころも豊富なので思った以上にエンタメ度の高い作品であった。セリフの読み方については棒読みと感じる部分も多く、それは特に「ないない話」のパートに顕著であるので、おそらく意図的なものである。

 私たちの実人生では、ひとつの偶然からこの作品で描かれるほどの果実を得ることは困難である。が、偶然の何かに出くわしたとき、日常のほうの「あるある話」に戻ろうとするのではなく、想像を働かせ「ないない話」の方に踏み出すことができれば、映画も人生も少し何か違うものにできるのかもしれない。